その頃、狐の形の夕香は昌也と遊んでいた。正確には昌也で遊んでいたのだが、四本あ
るうちの尻尾で昌也の鼻の下をくすぐりくしゃみ連発記録を更新させてみたり昌也を乗せ
て天井近くまで飛び上がって半泣きにさせたり、もう夕香の中では、昌也は月夜の兄では
なくおもちゃに近い存在になっていた。というより、兄の威厳すらもうなかった。
「もう遊ぶのやめてくれ」
 終いにはこう泣きつかれて夕香は暇をしていた。そして、ふとある方向に顔を向けた。
その空気が一気に引き締まる。音は何も聞こえない。だが、夕香は動物勘で感じ取ったよ
うだった。
「なんだ?」
 昌也が体を起こして顔を引き締めた。夕香は足で耳のあたりを掻いてお座りの体制をと
った。
「月夜が来た」
 そう言うと夕香は糸で繋がっている月夜の意識に呼びかけた。近くに感じられるが遠く
にも感じられる。何かがおかしい。
〈あんたも霊力封じられてんの?〉
〈そうだ。文句あるか?〉
〈じゃあ〉
 そんな事をポンと頭の奥に放り投げた夕香はどうするのよと言いかけて昌也に目を向け
て外見ててと合図した。散々おもちゃにしていたからなのか、それにおとなしくしたがっ
た昌也を見届けて意識を集中させた。
〈水神の指輪がそのまんまだ。体傷つけてでも呪印は剥ぎ取れる。そうすれば俺の霊力が
戻るからお前の神気が共鳴すると思う。それがあれば蔵ぐらい吹っ飛ぶからすぐに脱出。
兄貴連れて一回……〉
〈蔵こわしていいの?〉
〈粉みじんにしてくれていい。俺はここに住むつもりはない〉
 頷く月夜に苦笑しつつ夕香はあくびをした。ついでに伸びをしていると頭を牢の壁に打
った。
〈でも、何で、こんな事になってるの?〉
 そう聞くと月夜は少し間をおいた。言いたくない事なら言わなくていいと言う前に返事
が帰ってきて口をつぐんだ夕香は静かにそれを聴いていた。
〈俺の親父が宗家就任を拒んでからのお付き合いだ。ここまで来ると執念深い所じゃない
な。まったく、よぼよぼの爺から逃げてんのもやなんだけどさあ……。まあ、薄々勘づい
てると思うが、宗家就任の儀では力を高める為に狐の血を飲むんだ。お前が捕まえられた
のはそのせいだと思う。まあ、妖の血を飲めば力を得られるというが、体がその力につい
ていけない事があるからな。今は禁止されている。それに、そんな物、俺には興味ないか
らな〉
 親父も同じで飲むのを拒否して一族から逃げたといった。昌也はその頃にはもう薬師の
仕事が出来たから一緒に逃げるということはしなかったらしい。
〈もう、儀式的な意味のほうが高くなっている。そんなことしなくても俺達は力が強かっ
た。それ以上に強くなっても意味がない。だから、親父と一緒に逃げていた〉
 そんなお家騒動に巻き込んですまないなとなぜか肩をすくめて苦笑している彼が見えた
ような気がした。心なしか、糸が太くなっているような気がする。
〈別にいいよ。どれぐらい待てばいい?〉
〈そうだな、もう一時間ほど俺が大人しくして……外に出るときに声掛けてくれ、そのと
きに見計らって霊力の封印解く。共鳴を押さえようとするなよ。黒子の連中は親戚ともい
えないような遠い親戚だから殺してもよし。とにかく滅茶苦茶にする〉
〈滅茶苦茶に壊すの?〉
〈ああ。古ゆかしい物全部壊してもかまわない。更地に戻してやる〉
 相当嫌なんだろうなと内心思いつつ頷いてトレースによる会話を終わらせた。
「で、あいつはなんと?」
 昌也がそう聞くと夕香は狐の形のままにやりと笑った。
「滅茶苦茶にしてやるだって。面白そう」
 そう言う夕香に昌也は内心このいたずら好きの馬鹿狐がと罵ったが本人目の前で言う勇
気はなかった。
「なあに?」
 その心の内を見透かしたように夕香は四つの尻尾を振り振り、にこやかに尋ねてきた。
その背後に黒い何かが出ているような気がするのは気のせいだと思っておこう。
「別に、お前ら追われてんのにそんな派手な事して平気なのかよ」
 心にも思っていない事を口にした。本当はこんな一族の持ち物いらないのだが、このお
子様たちは自分達が仮にも追われ人だということを思っていないかもしれない。後先考え
ずに今のことを優先させるのが月夜だ。考えていないに決まっている。
「さあ、大丈夫じゃないの?」
「大丈夫じゃないだろ。ここが目にとまる可能性もある、それに、長老クラスだと、お前
達が追われていることも知っているはずだ。それを見越してのものだったら……?」
「どうなのよ?」
 お座りの態勢で首を傾げている。見ているだけなら動物的で可愛いだろう。だが、その
大きさが尋常じゃない。狐が熊の大きさになったといったら分かりやすいだろうか。たま
に見える牙で噛み付かれたらひとたまりないなとたまに思ったりもしている。
「自分で考えられるだろ……」
 言いかけた途端に毛を逆立てて威嚇してくる。この距離でこの大きさの狐にやられては
命の危機を感じえない。
「この馬鹿狐、ただの罠に決まってんだろ」
 その顎に軽くけりを入れつつ言ってその上に跨り耳を引っ張った。さっきからやられた
分の仕返しだ。と思ってやっているとふと足がつかないことに気付いた。
「下ろせ」
 その声とともに身体をぶるると震わせて夕香は昌也を振り落とした。昌也は受け身も取
れずに肩から派手に落ちた。夕香は昌也の服を切り裂いて胸に刻まれている呪印をなめた。
「なにす……」
 呪印をなめとって一端を消すと昌也に霊力が流れ出した。
「自分の分だけ、結界張ってろだって。簡単に捕まりやがって後で覚えてろ馬鹿兄貴。以
上、貴方曰く愚弟の月夜の伝言。じゃ」
 夕香は昌也を奥に追いやってそのときを待った。もうそろそろのはずだ。と思ったとき、
牢を空けられて夕香だけ引きずり出された。
〈今、出された〉
〈了解〉
 その言葉とともに一気に神気が膨れ上がった。月夜が呪印を消したのだろう。押さえて
も押さえきれない。夕香の周囲数百メートルにわたって暴風が吹き荒れている。夕香をつ
れてきた黒子もみな吹き飛び近くにあった蔵と建物を破壊した。



←BACK                                   NEXT⇒